第53話    「ヒンシュクを買った荘内の遠征組」   平成17年04月10日  

庄内の釣りバカ達は一般的にマナーが良かったけれども、釣り人が増えた分マナーの良くない釣り人も増えた。

その昔庄内の武士たちが釣道と云って加茂湊を中心とした上磯あたりで武士道に乗っ取り静かに釣っていた時代は釣りのマナーが守られていたのだろうが、明治から大正にかけて士族のみならず一般庶民の者も釣りに出掛けるようになっていた。釣れると聞けば上磯は新潟県に越境し、下磯は秋田県境へと北上してまで釣りを始めている。昭和に入ると交通手段が発達して来て秋田県に越境を始める。庄内の釣り人は根っからの黒鯛バカで黒鯛が釣れると聴くと何処までも遠征する。限られた人数で釣っていた時代は、それでも良かったのだろうが、けれどそれがマイカーの時代となると大挙して集団で出向くようになった。特に鶴岡の釣り人は町内や職場ぐるみの釣り愛好家が集団で行動する。510人と割と少人数の時は何台かの車に分乗し、人数がまとまると小型バスを仕立ててまで出向くようになった。

新潟県に越境した頃は少人数の釣り人が多かったが、秋田県の男鹿半島や秋田県北部から青森県の西津軽に越境して遠出の黒鯛釣の頃はすごかった。荘内の釣り人が入る以前の地元の釣りは主にブッコミで真鯛を狙うか根に居る根魚を釣る習慣しかなかったので黒鯛は大量に釣れた。昭和50年代の前半に当時の最新釣り方、長竿による中通し釣法を駆使してオキアミを大量に撒いて釣りに釣った。庄内の釣り人が集団で釣り場を占領し、地元の釣師たちの入る隙間がなかったとまで云われていたほどである。それが何年にも渡り続いたことで、地元の釣師たちからは大いに感情を害されたと云う事は云うまでもなかった。12月の男鹿に釣りに行くと磯近くに駐車されている車の殆んどが庄内ナンバーであった事には驚かされた。主な釣り場に10台車があるとすれば、89台は庄内ナンバーである。そんな事で車のタイヤの空気を抜かれたりする事件もしばしば起きたと云うことである。

自分たちが釣ろうにも入る隙間さえないと云う状況下で、他県の人達が大挙来て自分たちの釣り場から魚を根こそぎ持って行かれると云う事は地元の釣師達にとっては余り面白いことではない。それに撒き餌に馴らされた魚は撒き餌をしないと極端に喰いが悪くなったし、磯にゴミも撒き散らしていく不届き者も少なからず居た。そんな事もあって案の定秋田県の県条例であつた撒き餌禁止が強化された。取り分け県外の者に対しては厳しかったように思える。秋田県南部の釣り場であった金浦、平沢地区の釣り場で漁業監視員とのトラブルがかなりあつたと聞いている。

ヒンシュクを買っている中はまだ良かったのだが、調子に乗って釣りまくっている中に撒き餌禁止の条項の強化となり、釣るに釣れないと云う結果を招いたのである。正に自業自得と云える状況であった。以前から漁業資源については隣県にありながら昔からの色々なシガラミがあって、余り良い環境になかったことも影響している。秋田県でハタハタの漁業規制をしている時も山形県では積極的な協調をしていない。

遠征する時の心得として、決して地元の人達のヒンシュクを買うような釣をしてはならない。全国の海岸での釣が一部を除いていくら自由だと云っても、釣りのルールを良く守って釣る事を心がけたいものである。トラブルが元で後から来る釣り人の妨げになるような行為は決してやってはならない。